旧鶴田町は,鶴田ダムのある町として知られます。藩政時代の鶴田郷は,鶴田村・神子村・柏原村・紫尾村からなり,鶴田村に地頭仮屋が置かれました。地頭仮屋跡に置かれた村役場は近くの湯田原に移転します。鶴田郷の郷士は地頭仮屋を中心にやや分散して居住したと考えられます。

鶴田小学校跡
鶴田小学校の前身は地頭仮屋跡に建てられた郷校です。昭和37年まで初代校舎が置かれました。

地頭仮屋跡(左)と近くの町並み(右)
左上の標柱は2007年当時。右上の石垣は地頭仮屋跡の近くに残ります。

鶴田小学校跡
鶴田小学校は近くの諏訪山の上に2代目校舎を建て移転しました。その後,生徒数の減少に伴う学校再編により,2022年に総合支所近くに移転しました。

地頭仮屋跡近くの石垣(2020年)

地頭仮屋跡の標柱(左)(2007年)
国道267号から見上げるように地頭仮屋跡の標柱が立てられています。鶴田郷の地頭仮屋は梅君ヶ城跡の近くに置かれました。梅君ヶ城は背後を川内川が流れる要害の地にあり,祁答院(*)の領主であった島津歳久が築城し,歳久が日向から連れ帰った伊東氏一族の娘・梅を住まわせたと伝わります。
(*)当時の祁答院は,旧祁答院町(大村・黒木・藺牟田),薩摩町,宮之城町,鶴田町を含む広い地域を指しました。
島津歳久は,祁答院十二郷(佐志・湯田・時吉・虎居・平川・船木・久富木・鶴田・紫尾・柏原・求名・中津川)を与えられ,虎居城を拠点に領地をよく治めましたが,後に秀吉の怒りを買い,自害に追い込まれます。歳久の領地には本郷氏が入りましたが,本郷氏が都城に転出すると,鶴田・神子・柏原・紫村の4か村は島津氏の直轄領となりました。

竪山の石門(2020年)
非常に珍しい総石造りの門。主屋根・柱・支え・袖壁などすべてが石造りです。曽木の滝から鶴田に向かう国道267号線途中の求名にて。さつま町指定文化財(平成31年指定)。

竪山の石門
鹿児島は奥が深い。北薩地区にこのような立派な石門が残っているとは知りませんでした。

鶴田鉄道記念館(2007年)
国鉄宮之城線の薩摩鶴田駅跡。国鉄宮之城線は川内駅と薩摩大口駅を結んでいましたが,1987年に廃止されました。

鶴田ダム(2022年)
高さ117.5m。川内川中流に位置し,重力式コンクリートダムとして九州最大規模を誇る。昭和41年完成。
訪 問:2020年9月13日(一部:2007.11,2022.8)
史 跡:梅君ヶ城跡/鶴田合戦/鶴田城/大石神社/鶴田ダム
参 考:さつま町ホームページ/公報つるだ等
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