
地頭仮屋跡(帖佐小学校)
藩政時代の帖佐郷は,島津氏の直轄領で,現在の帖佐小学校の敷地に地頭仮屋が置かれました。帖佐麓は地頭仮屋の周囲に形成され,小学校の周囲や国道沿いに,別府川の向こうにも一部,麓らしい雰囲気が残ります。帖佐小学校の近くに島津義弘の居館跡があります。

帖佐麓の町並み
街路の左右に石垣が続く。街路の正面突き当たりは島津義弘の居館跡
栗野城を居城とした島津義久は,1595年に帖佐に居館を建てて移り住みました。翌々年に帖佐から慶長の役に出陣します。11年間帖佐で暮らした義弘は,平松城に移った後,加治木に館を建て,晩年まで加治木で過ごしました。

帖佐小学校の石垣

帖佐麓の町並み
帖佐小学校の近くに古い石垣と生垣,大きなイヌマキの木が見られます。

島津義弘の居館跡(高麗稲荷神社)
正面(南側)に城郭風の石垣が築かれています。義弘居館は家老・新納旅庵が工事監督を行ったと伝わります。新納旅庵は,文禄・慶長の役,関ヶ原の戦いに義弘とともに出陣し,関ヶ原の戦いでは退却途中に義弘一行とはぐれて東軍に捕まるも解放され,戦後は島津家本領安堵のため奔走しました。

居館跡の石垣
居館跡の石垣は正面から大手口のある東側に延びている。石垣石は近くの湯湾岳から運んだと伝わります

惟新公邸址之碑(左)と大手門跡(右)
大手口にあった門(大手門)は,義弘によって出水に移築されたと伝わります。出水小学校にある御仮屋門がそれにあたる

帖佐麓の町並み(2008)

帖佐麓の武家門(高樋)
帖佐小学校から蒲生に向かう県道沿いの上麓,別府川に掛かる帖佐橋を渡った対岸の高樋にも麓らしい町並みが見られます。
山田郷と重富郷について
山田郷は姶良北部に位置し,藩政時代に帖佐郷から外城として独立し,また,重富郷は姶良南西部に位置し,越前島津家の再興にともない,帖佐郷を分割して成立しました。
訪 問:2009年10月20日(一部:2008.4)
備 考:平山城/帖佐八幡神社/古帖佐焼
参 考:姶良市公式HP/姶良市デジタルミュージアム等
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