鹿児島県と宮崎県に残る旧薩摩藩領内の外城と麓の町並み記録です。
加治木2





藩政時代の加治木は,街道の分岐点に位置し,物流と交通の拠点であると同時に,物資を鹿児島城下に運ぶ港としても繁栄しました。加治木の港町には風情のある通りが残り,また、近くの岩原には往時の郷士集落らしい町並みが残ります。

加治木2
港町の町並み

藩政時代の加治木港(加治木浦)は,溝辺や横川,栗野方面からの物資を集積し,海路を利用して鹿児島城下に運ぶ拠点として栄えました。明治12年には山ヶ野金山から加治木港に鉱石を運ぶ道路が開設されます。港町には,加治木石を用いた古い石垣や門柱が今も残り、風情ある町並みが見られます。

加治木2
港町公民館(左)と霧島八坂神社(右)
石灯籠や左右に並ぶ鳥居も加治木石でしょうか。写真には写っていませんが,右の八坂神社の敷地内に加治木の商工業者によって明治23年に建立された恵比寿神祠が残っています。

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加治木2
港町の町並み(2008年)
左下の武家門は石柱門の後方に並んで建っています。現在更地になっているようです。

加治木2
港町の町並み
通りに沿って石垣が続き、立派なイヌマキも見られます。

加治木2
朝日町の町並み
国道10号線に面する性應寺の裏手にも,風情ある石垣の通りが残ります。近くに江戸時代から明治にかけて鋳物業で財をなした豪商・森山家の住宅がある。森山家は磯の集成館で大砲の鋳造にも関わりを持ちました。

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加治木2
朝日町の武家門(2008年)
腕木門。左右に小屋根がつく。ここの門は倒れないように前後から支えが設けられています。当時この門を見たときの感動は忘れません。

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性應寺付近の町並み(朝日町)
奥に見える高い屋根が性應寺。ここでも古い石垣が続く。手前の石垣は植物に覆われている。

薩摩藩の各郷では,麓以外にも多くの郷士が分散して居住しました。郷士集落の面影が残る地区は,加治木の岩原,加世田の万世・小湊などでしょうか。岩原は,加治木麓の南東に位置する地区で,往時の郷士集落らしい町並みが残ります。

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岩原の武家門
腕木門。左右に小屋根と袖壁を備える。笠石を載せた石垣や生垣、見事なイヌマキが残ります。

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加治木2
岩原の武家門と岩原の町並み
腕木門。左右に続く石垣は切石の8段積み。加治木石は加工しやすく,切石がきれいに積まれた石垣が通り沿いに続く。

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岩原の町並み
上の石垣は風化が進んで前後に波打ちしながらも倒れることなく形を保っています。

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岩原の町並み
東西に延びる通りの左右に石垣が続き,良好な町並みが保たれている。

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岩原の武家門
腕木門。こちらは門の左右に竹垣が続く。

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石柱門(左)と武家門(右)
岩原には石柱門も残ります。上の石柱門は頂部に笠石が載る立派な門です。

龍門司坂(たつもんじざか)について
薩摩藩内の主要街道には,鹿児島城下を起点として北上し,白銀坂を通って加治木麓から肥後方面に向かう「大口筋」と,加治木麓から分岐して日向方面に向かう「日向筋」の2つがあります。龍門司坂は,加治木から溝辺に向かう大口筋にある石畳の坂道で,約480mにわたり当時の姿が残されています。近くに龍門の滝がある。

訪 問:2008年10月4日(一部:2009.10/2011.7)
備 考:網掛川/恵比寿神祠/鹿児島街道/龍門司坂/龍門滝/龍門司焼
参 考:姶良市公式HP/姶良市デジタルミュージアム等


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