鹿児島県と宮崎県に残る旧薩摩藩領内の外城と麓の町並み記録です。
加久藤





加久藤
加久藤(かくとう)は,えびの市のほぼ中央に位置する地域で,加久藤盆地とともにその名が知られます。藩政時代は加久藤郷と呼ばれ,飯野郷・馬関田郷とともに島津氏の直轄領でした。加久藤郷の地頭館は加久藤城のふもとに置かれ,加久藤城址の南ふもとから国道268号線沿いに麓の遺構が見られます。

加久藤
加久藤麓の町並み(麓地区)
加久藤城址の南ふもと。国道268号から北に延びる街路の先の低い丘陵に加久藤城が築かれました。近くの不動寺跡に島津義弘の長男・鶴寿丸の墓(史跡)があります。

伊東氏の圧迫を恐れた守護・島津貴久は,1564年に領主・北原兼親を伊集院の神殿に移し,二男・義弘を真幸院の領主に任命しました。同年,義弘は旗本衆60人と共に加世田を出発し,牧園から白鳥山を超えて久藤城に入り,修復して加久藤城とし,加久藤城に正室と嫡子を住まわせ,自らは飯野城に移り,飯野城を長く居城としました。

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加久藤麓の町並み(松原地区)
国道268号線の松原交差点近く。国道の南側に沿って石垣と生垣,武家門が並びます。

加久藤
加久藤麓の武家門と石柱門(松原地区)
左の腕木門は観音扉を備えた立派な門です。加久藤麓には石柱門も見られます。

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加久藤麓の町並み(松原地区)
国道268号線の北側。田圃向かいの山(左に平城跡)裾に武家門が並び,きれいに剪定された見事な生垣が見られます。

加久藤
加久藤麓の町並み(松原地区)
生垣の向こうに見えるイヌマキも見事です。

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加久藤麓の武家門(左)(右)
右の門は主屋根があったものと思われます。

加久藤
加久藤麓の町並み(松原地区)

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加久藤麓の武家門と石倉(松原地区)(2010年)
上の武家門と石倉は現在(2025年)残っていないようです。

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加久藤麓の武家門(2010年)
上の腕木門は大きな主屋根を備え,潜り戸のある立派な門です。

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台明司地区の武家門
飯野から加久藤に向かう途中の台明司地区に武家門が残っていました。

加久藤城と木崎原の合戦について
小林城を出発した伊東軍3000余のうち,1隊は飯野城に備えて陣を敷き,もう1隊が加久藤城の搦手門に迫りますが,加久藤城を守る川上忠智の防戦と飯野,吉松などからの島津軍の援軍により,伊東軍は加久藤城を攻め落とすことができず,池島方面へと後退します。その後の両軍の激戦は木崎原へと移ります。木崎原の戦いは午前4時に始まり,午後2時頃に終わり,10時間にわたる激戦で伊東軍の戦死者は500余人,島津軍も160余人あったと言われます。木崎原の合戦に由来する近くの史跡に三角田,六地蔵塔,首塚、大刀洗川があります。

訪 問:2010年5月4日
備 考:加久藤城/木崎原古戦場跡/加久藤麓に残る武家門は5棟(2010年)
参 考:えびの市ホームページ/えびの市の城館跡(えびの市教育委員会)/肥後街道(宮崎県教育委員会)/えびの市歴史民俗資料館等


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